1.日本橋
東京メトロ東西線、浅草線、銀座線「日本橋駅」歩いてすぐ。
造り、品格、歴史、等々すべてがすばらしい日本有数な橋でしょう。その上日本の道路原票があり、日本の道路網の始点でもあります。
現在の橋は19代目と言われ、長さ49メーター、幅27メーター、石造り二連アーチ橋で1911年4月に完成。
1999年、国の重要文化財に指定され、2010年4月に架橋100周年記念を行った。
最初の日本橋は徳川家康の命により、1603年(慶長8年)に木製の橋が架けられました。翌1604年には諸街道の起点と定められました。
初代の橋は、長さ28間(約51メーター)、幅4間2尺(約8メーター)で、初めから擬宝珠がありました。
この橋の北側半分は両国「江戸東京博物館」に実物大で再現されています。江戸時代、この橋の周りには幕府の御触れを張り出す「高札場」や罪人の「晒し場」などがありました。北側には魚市場、まさしく江戸の中心地でした。本歯科医師会のロゴ・マークでもある有名な広重の「東海道五十三次」の1番目、朝焼けの大名行列の絵はもちろんこの旧木橋の日本橋です。
よろしければ「日本橋川にかかるいろいろな橋ページ」も見て行ってください。
※「日本橋川にかかるいろいろな橋ページ」はこちらから
2.日本国道路元標
東京メトロ東西線、浅草線、銀座線「日本橋駅」歩いてすぐ。
道路元標とは道路の起終点を示す工作物ですが、日本の全て道路の起点となっています。今は橋の横にありますが、都電が走っていた頃までは橋の真ん中にあったそうです。
3.日本銀行
東京メトロ半蔵門線、銀座線「三越前駅」
日本銀行は、日本の中央銀行である。略称は日銀(にちぎん)。唯一の発券銀行として日本銀行券の発行および管理を行う。
日本橋本石町にある本店本館は建築家辰野金吾の設計で1896年竣工。柱やドームなどのバロック様式に、規則正しくならぶ窓などのルネッサンス様式を取り入れた「ネオバロック建築」で、ベルギーの中央銀行を手本にしたとされている。
明治時代の近代洋風建築を代表する作品である。
1974年(昭和49年)に国の重要文化財に指定された。また、上空から見ると『円』に見えることで有名。
4.貨幣博物館
東京メトロ半蔵門線、銀座線「三越前駅」
日本銀行金融研究所内の2階フロアに設置されている博物館。1982年(昭和57年)に日本銀行創立100周年を記念して設置され、1985年(昭和60年)11月に開館した。
日本銀行本店に隣接し、館内には古代から現在に至るまでの「日本の貨幣史」、世界の貨幣・紙幣を紹介する「さまざまな貨幣」、および「テーマ展示コーナー」からなる。発掘された貨幣や、軍票、記念硬貨などが順路毎に約4000点展示されている。また、1億円分の紙幣の重さを体験出来るコーナーもある。
日本銀行が収集してきた日本および国外の貨幣類と、田中啓文から寄贈された「銭幣館コレクション」がもとになっている。
現在はリニューアルのため11月頃まで休館中。入場無料。
5.三越本店
東京メトロ半蔵門線、銀座線「三越前駅」地下直結。
江戸時代の1673年(延宝元年)に、呉服店の「越後屋」(ゑちごや)として創業。現在の商号「三越」は、三井家の「三井」と創業時の「越後屋」からとったものである。
1914年に日本橋本店、ルネッサンス様式の新館落成。鉄筋地上5階・地下1階建てで日本初のエスカレーターが導入された。同時にエレベーター、スプリンクラー、全館暖房などの最新設備が備えられた。エレベーターは今もスケルトンタイプの扉でノスタルジックな雰囲気をかもし出している。また今でもエレベーターガールが常時配置されているが、6台のうち中央2台のみと限定的な運用となっている。
正面玄関の「ライオン像」もこの時設置された。戦火を逃れ現在も日本橋本店正面玄関に設置されている。誰も見ていないときに受験生がライオン像にまたがる、または触ると志望校に合格するという験かつぎも知られている。
1923年、関東大震災により日本橋本店と丸ノ内別館が焼失。
1935年、日本橋本館の増築改修工事が完了。中央ホールが完成。地上7階地下2階建て。東京都選定歴史的建造物に選定されている。
現在、中央ホール2階バルコニーにあるパイプオルガンは、1930年(昭和5年)に輸入されたもので、日本で唯一現存する演奏可能な昭和初期製造のシアターオルガンでもあり、貴重な歴史資料として2009年(平成21年)には中央区民有形文化財に登録された。まだ本格的なパイプオルガンが日本に数台しかない時代だったため大変な評判となり、NHKでは演奏を聞かせるレギュラー番組が組まれ、NHKと三越の間には専用回線まで引かれたという。現在でも金曜、土曜、日曜の午前10時・正午・午後3時の3回、オルガン奏者による生演奏が行われ、その荘重な調べは日本橋三越本店独自の雰囲気をつくるうえで欠くことのできない重要な役割を果たしている。
1932年 三越が建設資金を負担し東京地下鉄道「三越前駅」が開業。日本橋本店地下売場と連絡している。
6.三井本館
東京メトロ半蔵門線、銀座線「三越前駅」歩いてすぐ。
(三越本店裏)
三井財閥(三井合名)の本拠地として昭和4年(1929年)に発祥の地、日本橋に建てられた建物。三井本館としては2代目である。
初代の三井本館も石造りで明治35年(1902年)に完成していたが、大正12年(1923年)の関東大震災で火災をおこし内部が焼失した。修理にて充分使用が可能であったが、三井の将来への業務の拡大、および震災復興のシンボルとしてより大きく建て直された。
当時の三井合名の理事長團琢磨は、この完成を急ぐため震災で混乱していた国内を諦め設計・施工ともアメリカの会社に、「壮麗」「品位」「簡素」を旨として依頼した。
建築様式はアメリカの新古典主義の様式で、重厚なコリント様式の柱が三方向囲んでいる。壁側面上部には、三井がおこなっていた事業を表した石のレリーフが数多く飾られている。そしてレリーフにある直系各社がここに入居した。中はイタリア大理石を多用した荘厳な造りである。構造は関東大震災を教訓に、その2倍の地震にも耐えられるように作られていて、これは現代の耐震基準より厳しいとされる。総工費は当時の金額で、2,131万円といわれる。
地下大金庫の最大厚さ90センチメートルの扉は搬入に際し重量の大きさ(約50トン)から日本橋が損傷する恐れがあるために通過が認められず、川に浮かべ船で運ばれた。
三井合名の理事長「團琢磨」は、昭和7年(1932年)経済不況のさなかにこの本館前で反アメリカを標榜する血盟団員により射殺されたのも有名である。
戦前の建物は多くがすでに建て替えられているが、今でも残る明治生命旧館、第一生命本館、などと並ぶ石造の名建築の一つであり、平成10年(1998年)に国の重要文化財に指定された。
現在は三井不動産の本社、三井住友銀行日本橋支店、三井住友信託銀行日本橋営業部などが入居しているほか、7階には三井家の所蔵品を展示している三井記念美術館が平成17年(2005年)10月8日に開館した。また夜間はライトアップされてきれいですよ!
三井本館の7階にありますが、入り口は右となりの三井タワーにありますのでお間違いないように!
7.コレド室町
東京メトロ半蔵門線、銀座線「三越前駅」地下直結(A6番出口)
JR総武線快速「新日本橋駅」地下直結
2010年10月、三井不動産が中心となって進めている日本橋再生計画の一環として日本橋室町に「COREDO室町」が開業。2014年3月にはそれに続く形で「COREDP室町2」「COREDO室町3」が開業。
「COREDO」の名前の由来は、英語で核を意味する‘CORE’と「江戸」’EDO’をつなげた造語。日本橋は五街道の起点であり、江戸・東京の商業的中心地として栄えてきた歴史・伝統豊かなエリアであることから、そこから始まる新しい日本橋が東京の商業の「核」となるという想いが込められている。
日本全国の「食」やこだわりの「モノ」を販売する店、日本橋初のシネマコンプレックス、深夜も営業を行う飲食店やライフスタイル提案型の雑貨店など合わせて16施設153店舗が出店している。かつての日本橋の賑わいを再現すべく、暖簾(のれん)や行燈(あんどん)など和のテイストをモチーフとした外装デザインが施され、街歩きの楽しさが演出されたつくりになっていますので是非見てみてください!
8. 福徳神社(芽吹神社)
東京メトロ半蔵門線、銀座線「三越前駅」
コレド室町裏
主祭神は倉稲魂命〈うかのみたまのみこと〉で 五穀主宰の神。日本書紀では倉稲魂命、古事記では宇迦之御魂神と表記する。
武蔵野の村落である福徳村の稲荷神社として祀られ、その地名をとって社号としており、貞観年間(清和天皇・八五九~八七六年)から1千年以上の歴史を持つ。
元来武将の信仰があつく、源義家が深く崇敬されていたと伝わっている。徳川家康公も参詣は数度に及んだ。さらに、二代将軍秀忠公は慶長19年(1614)正月八日に参詣し、「福徳とはまことにめでたい神号である」と賞賛した。この時、当社古例の椚の皮付きの鳥居に、春の若芽の萌え出でたのをご覧になり、別名を「芽吹神社」とした。
2014年10月、新社殿が完成し一般参拝が始まった。都市化の波に押され、近年はビルの屋上や谷間を転々としていたが、一帯の再開発にあわせ整備された。
社殿は防火地域のため純木造ではないが鉄骨造りにした上で表から見える部分にはふんだんに吉野ヒノキを使っている。屋根は銅板ぶきである。夜間はライトアップもされ、終日参拝できる。地下には災害用の備蓄倉庫も設けている。神社の隣に、約1千平方メートルの「鎮守の森」を2016年度までに造り、地下には商業スペースを設ける計画となっている。
9. 日本橋魚市場跡
東京メトロ半蔵門線、銀座線「三越前駅」(B6出口)
江戸時代は日本橋と江戸橋の橋の間の日本橋川の北側が江戸の胃袋を満たす魚市場でした。歌川広重の有名な浮世絵の東海道五十三次の一番目にも描かれています。(魚河岸日本橋)もちろん当時は水運で魚を運ぶ必要があったためでした。
江戸時代は、始めは徳川家康が大阪から連れてきた漁師が佃島に居を構えて獲った江戸前のお魚を、日本橋川でここに運び幕府に献上し残りをここで販売したのが始まりです。
ここの魚市場は、江戸で一日に千両のお金が動く三つのうちの一つといわれにぎわいました。(あとは金両替商と花街の三つです)
近代になると白壁の倉も多くひしめいて繁盛し、細かい水路もあり明治になってもここは運送に便利な場所でありました。
だが1923年9月1日(大正12年)関東大震災で壊滅的に倒壊して、手狭、輸送手段の変化のため築地に新しい土地を求めて移転しました。(築地はその名前の通り、埋め立て地です。多くは築地本願寺と檀家が埋め建てた土地です。都は築地本願寺の墓地を杉並・和田に移して築地に市場の土地を確保したそうです。)
その魚河岸の記念碑が、日本橋を京橋方向から渡った右側にあります。