安産の神様として有名。
近くには参拝する妊婦さんのマタニティー用品の店などが多くあります。
福岡県・久留米市にある久留米水天宮の分社で、祭神は久留米水天宮と同じ天御中主神・安徳天皇・高倉平中宮(建礼門院、平徳子)・二位の尼(平時子)である。江戸時代より安産・子授けの神として人々から厚い信仰を集める。現在は社殿改築のため、日本橋浜町に仮宮が設けられている。
久留米の水天宮は久留米藩歴代藩主(有馬家)により崇敬されていたが、文政元年(1818年)9月、9代藩主有馬頼徳が江戸・三田の久留米藩江戸上屋敷に分霊を勧請した。これが江戸の水天宮の始まりである。
明治4年(1871年)、有馬家屋敷の移転とともに赤坂に遷座し、翌明治5年(1872年)、有馬家中屋敷のあった現在の日本橋蛎殻町二丁目に移転した。平成25年(2013年)3月1日、日本橋浜町の明治座そばに仮宮が設けられ遷座された。
新社殿の完成は平成28年(2016年)の予定。有馬家との縁は続いており、2013年現在の宮司有馬頼央は、有馬家の当主である。
2.明治座
東京メトロ日比谷線「人形町駅」
都営新宿線「浜町駅」
明治時代からの長い歴史を持つ「日本橋明治座」は、「銀座歌舞伎座」「新橋演舞場」「お堀端帝劇」などとともに、東京を代表する劇場として親しまれてきた。1873年(明治6年) に喜昇座(きしょうざ)として創建された本劇場は、初期には焼失と再建を繰り返しながら成長し、その度に名称も久松座(ひさまつざ)、千歳座(ちとせざ)とめまぐるしく変わっていった。1893年(明治26年)に初代市川左團次が千歳座を買収して座元となり、これを明治座と改称するに及んでやっとその名が落ち着き、今日に至っている。
明治座は戦前から戦後昭和の一時期までは、歌舞伎や新派の殿堂として知られた。その後は時代劇公演や、時代劇俳優や演歌歌手など年配に好まれる芸能人が座長となった歌謡ショー形態の公演が中心となった。2000年代に入るとテレビ局との提携による現代劇や観劇者の世代を引き下げたミュージカル形態の公演もおこなわれるようになった。舞台設備には、宙乗り装置も常備されている。各階のロビーには所蔵絵画が多数展示されており、美術館のような雰囲気を醸し出している。
3.甘酒横丁(あまざけよこちょう)
東京メトロ日比谷線「人形町駅」
都営浅草線「人形町駅」
人形町駅を出てすぐの「甘酒横丁」交差点から明治座までの約400mの小さな通りが甘酒横丁と呼ばれる通りで昔ながらの老舗や名店がたくさん並んでいます。明治初期に横丁の入り口に甘酒屋があったことから名づけられたといいます。
今でも酒店や和菓子店などの店頭では甘酒が売られ、下町情緒が感じられる散歩道として多くの人に愛されています。
4.東京シティエアターミナル
東京メトロ半蔵門線「水天宮駅」
箱崎町にあるバスターミナル・専門店街。略称はT-CAT(ティーキャット)。
東京国際空港へのバスターミナルとして1972年7月1日に開業した。1978年に新東京国際空港(現在の成田国際空港)の開業にあわせ都内から海外への出入り口の一端を担うようになり、以来ターミナルで搭乗手続きや出国審査の手続きが可能であったが2002年末に全て撤退・終了した。現在はリムジンバスのターミナルとして機能している。廃止された搭乗手続きカウンター跡には各種店舗やレストランなどが入居している。
5.東京証券取引所
東京メトロ日比谷線、東西線「茅場町駅」
テレビなどでおなじみの「日本の株式市場のメッカ」、日本最大の金融取引所です。
日本最大の金融商品取引所である。略称は「東証(とうしょう)」。
1949年4月1日に証券業者(後の証券会社、現在の金融商品取引業者)を会員とする東京証券取引所として設立。2001年11月1日に組織変更し、株式会社東京証券取引所となった。
設立以来、大阪証券取引所及び名古屋証券取引所と共に「三市場」と称され、日本を代表する金融商品取引所として日本経済の成長に貢献してきた。また世界的に見てもニューヨーク証券取引所やロンドン証券取引所と並んで「世界三大市場」に挙げられ、世界経済の中枢の一角を担ってきた。なお、前身は日本初の公的な証券取引機関である東京株式取引所。
6.日枝神社日本橋摂社
東京メトロ日比谷線、東西線「茅場町駅」
千代田区永田町にある日枝神社の摂社(本社に付属し、その祭神と縁故の深い神を祀った神社)が茅場町にあります。
江戸時代(寛永年間)に江戸三大祭の山王祭の際、神輿の休息所である御旅所として境外摂社になりました。
二年に一度の山王祭りの際には盛大な「下町連合渡御」の各町会の神輿行列のスタート地点になります。
都心のオフィスビルに囲まれていますが、大変静かで緑豊かな広い空間がここにあります。
大晦日には、地元の飲食店会の出店で賑わいます。
7.浜町公園
都営新宿線「浜町駅」歩いてすぐ。
日比谷線人形町駅から甘酒横丁を明治座に向いその先隅田川の川べり
当公園は、1923年に発生した関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一環として災害時の大規模公園の必要性から隅田公園(台東区、墨田区)、錦糸公園(墨田区)と並んで計画されたものである。当地には江戸時代は熊本藩主・細川氏の下屋敷があり、明治期以降も細川家の邸宅があったが、公園として整備され、1929年に開園した。
公園内には広場のほか、1861年に熊本藩主・細川斉護によって建てられた、加藤清正を祀る清正公寺がある。清正公寺は当地がまだ細川家のものであった頃からも一般にも公開されていた。現在では園内にデイキャンプ場や運動広場の他、中央区立総合スポーツセンターがある。付近では貴重な緑地スペースとして現在に至るまで周辺住民のみならず浜町付近を利用する人に多く利用されている。
8.伝馬町牢屋敷跡
東京メトロ日比谷線「小伝馬町駅」出口傍
江戸時代囚人などを収容した牢屋敷(時代劇でよく登場する場所です)がありました。始めは常盤門のそばに置かれましたが、延宝5年(1677)にここに移りました。
現在は十思公園、大安楽寺、身述別院などになっています。
十思公園内では発掘調査した江戸時代の牢獄を見ることが出来ます。また今年平成27年のNHK大河ドラマに登場する幕末の志士「吉田松陰」が処刑された記念碑もあります。
この十思公園には「銅鐘 石町時の鐘」もあります。これは江戸時代に日本橋石町にあった時間を告げる鐘をここに移築したものです。江戸の大火でここの鐘も三回焼きだされて、これは宝永八年(1711)に鋳造された宝永時鐘といい東京都指定有形文化財です。
以前は公園の隣に「十思小学校」ありましたが現在は「十思スクエア」となり高齢者福祉施設があります。そのなかに中央区区営「十思の湯」というお風呂屋さんもあります。一風呂浴びて観光もいいでしょう。
9.日本橋横山町馬丁問屋街・新道通り会 ―日本最大の現金卸問屋街―
都営浅草線「東日本橋駅」、都営新宿線「馬喰横山駅」
日本橋の北に位置する、浅草橋に近い場所です。ここに江戸時代から続く衣料品、洋装品、などの繊維問屋街があります。また靴・鞄・袋物やボタン・手芸品・化粧品などの小間物のお店もあり、今でも合わせて120店以上ある、日本最大の問屋街です。
横山町と馬喰町とからなりますが、江戸時代の頃は横山町がまず問屋街となり、馬喰町は江戸時代前から馬の市が立つ町でした。名前の由来は博労(馬の価値を査定し、売買、仲介する人)の頭が何人もここに住んでいたためと言われています。
平和な江戸時代には、上京してくる人々の便が良いので旅籠がここに多くできて、江戸一の旅館街となりました。
するとここに泊まるお客相手に江戸土産として色々な小間物を売るお店ができて、やがてここも問屋街になりました。そして両方が一緒になり今の大きな問屋街に発展しました。
国内の繊維品が衰退して輸入品が多くなり、またスーパーなどの流通革命がおこり昭和30,40年代のような賑わいはありませんが、自分好みのおしゃれを楽しみたい方にはお勧めの街です。
小売りをしているお店もありますし、食事処も多くあります。行楽もかねてぜひ訪れてみてください。